dæġmǣl paramekairós

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コンセプト


時計という装置が発明される以前には、人と他の生物との関係はいまと異なるものだったのではないか。アフリカのヌアー族の言葉には時間に相当する概念がなく、彼らの家畜である牛の行動や、人が牛のためにおこなう労働によって一日が区切られたという。かつては天体の運動だけでなく他の生物の振る舞いや彼らとの関わりが、時間を知覚するための重要な手がかりだった事が想像できる。

《dæġmǣl paramekairós》は、ミドリゾウリムシ(Paramecium bursaria)の体内時計を計測し、そこから音によって時間の単位を作り出すことで、時計の発明以前にあり得たかもしれない、他の生物との関係性から築かれる時間の表現を試みる。生物の体内時計はおもに可視光によって位相や周期長が変化するため、計測に赤外線を用いたこの装置がもつリズムは、それが置かれた場所の経度・日当たりや、その部屋で暮らす人の活動に強く影響を受け、鑑賞者と生物の関係の在り方の数だけ、さまざまな種類の時間が立ち現れる。

この装置によって時間は定量可能な対象というよりも、他の生き物との関わりによって定義される経験になるだろう。

詳細


私は時計というメディア装置が発明される以前には、人と他の生物の関係は今と異なるものだったのではないかと考えています。というのも、そのころ人は月や太陽など天体の運動のほかに、身の回りの動物や植物と関わるなかで、自身の持っているリズムを相対的に知覚し、生活のリズムを作りあげていたことが想像できるからです。

たとえばアフリカにはヌアー族という人達がいます。イギリスの社会人類学者Evans-Pritchard(1940)の調査によれば、彼らの使う言葉には時間に相当する概念がなく、かわりに時間を知覚・表現するための照合点として牛を用いたそうです。彼らの一日は家畜の不規則な運動や、人が牛達のために行う労働によって区切られ、また時間について話すときには「彼は牛の乳搾りの時間には帰ってくるだろう」とか「子牛たちが戻ってくるころ、私は出発するつもりだ」という話し方をします。

E.E.Evans-Pritchard(1940)  『The Nuer』.  向井元子(訳) (1978) .『ヌアー族』 平凡社

E.E.Evans-Pritchard(1940) 『The Nuer』. 向井元子(訳) (1978) .『ヌアー族』 平凡社

彼らの社会では、牛との関係性はもちろん、その他のさまざまな生物との関係性も今の我々を取り巻く状況とは異なったのではないか。彼らにとって時間とは哲学の対象として議論されるような抽象的で実体のないものではなく、また我々が日常的にするように一定の単位で区切って定量化できるようなものでもなく、ただ牛や他の人々との関わりのなかにあるものであり、そうして生物と関わりを築くこと自体が、時間を作るということに相当していたのではないかと想像します。

現代の人々はそうした「時間は他の生物との関わりのなかで生まれてくるものである」という事実を忘れてしまっているからこそ、正確な周期を持つ機械式の時計に自身のリズムを無理に合わせて不調をきたしたり、人間以外の生物の存在を無視した意思決定に陥りがちなのではないでしょうか。これらはまったく異なる問題のように見えて、いずれも時計という装置の発明と普及に起因する現象なのではないかと仮説を立てました。

時計の発明が他の生物との関係性をそれ以前とは変えてしまった、という仮定が正しいとすれば、その関係をふたたび結びなおすために時間のメディアを作ることも、また可能であるはずです。このように考えて本プロジェクトに取り組みはじめました。